佐久間レールパーク

 【佐久間レールパーク】
1991年4月に中部天竜駅構内に開館したJR東海の鉄道博物館です
2008年現在、16両の保存車輌が展示されています
今年5月にJR東海博物館(仮称)の建設が発表されました
2011年(H23年)に名古屋に新しい博物館が開館するそうです
佐久間レールパークの車両も移動させる計画とか・・・
◆国鉄 ED11形 直流用電気機関車(ED11 2)
1923年にアメリカから輸入した電気機関車です
東海道線・横須賀線などので活躍していました
ED11 2は浜松工場入換機となり1976年まで活躍
その後も浜松工場で保管されていました
ED11 1は西武鉄道E61として保存されています
◆国鉄 ED62形 直流用電気機関車(ED62 14)
ED62形は中央本線で活躍したED61形を改造し製造されました
低規格線路の飯田線に入線できる様に軸重軽減目的の従輪を増設
JR貨物に3~7・15~17号機が継承され1997年の飯田線貨物全廃まで活躍

ED6214は国鉄時代に廃車後、浜松工場の入換機として活躍
ED62はJR東日本・東海・貨物で計5両が保存(保管)されている
◆国鉄 オハ35形3等客車 オハ35 206
1939年から製造された代表的な戦前製の3等客車
1987年に廃車され、展示に当たり整備される
◆国鉄 オハフ33形3等緩急車 オハフ33 115
1939年から製造されたオハ35形の車掌室が付いた客車
登場時は3等を表す赤帯が付けられていた
当初はスハフ34720形スハフ34834号で製造され
1942年の称号変更でオハフ33形オハフ33 115となる
1987年に廃車され、展示にあたり登場時の姿に復元
◆国鉄 スニ30形荷物車 スニ30 95
1927~1932年に製造されたオハ31形の荷物車
1961年に救援車スエ30 8に改造され1987年に廃車
レールパーク展示にあたりスニ30 95として復元
◆国鉄 オロネ10形2等寝台車 オロネ10 27
1955年から製造された10系軽量客車の2等寝台車
プルマン式寝台で冷房装置も搭載されている
晩年は工事関係者職員用宿泊車オヤ10 2として活躍
展示にあたりオロネ10 27として復元
◆国鉄 マイネ40形1等寝台車 マイネ40 7
1948年に製造された1等寝台車
2人用個室と日本初のプルマン式寝台を持つ
1955年に格下改造でマロネ40 7となる
1968年に工事関係者職員用宿泊車オヤ41 2となる
展示にあたりマイネ40 7として復元
(画像は2003年撮影)
◆国鉄 オヤ31形建築限界測定車 オヤ31 12
新線開通や電化開業時に線路周辺の施設や建造物が建築限界内に
収まっているかを測定、車両側面から矢羽根を広げて建築限界から
はみ出した建造物に矢羽根が触れると伝達表示される仕組み
オヤ31 12は1958年にスハ32 426から改造される
JR東海名古屋車両所で1995年に廃車
◆国鉄 ソ80形操重車 ソ180
◆国鉄 チキ6000形長物車 チキ6132
ソ80形は事故復旧用の操重車の代表形式
65tクレーンを装備する
控車のチキ6000は1977~1982年にコキ5500形を改造
◆国鉄 モハ52形 クモハ52004
戦前に京阪神間の急行電車として活躍しました
流線型の外観から『流電』の愛称が付けられました
晩年は飯田線で活躍、廃車後は日本車輛豊川工場で保存
◆国鉄111系 クハ111-1
1950年代から東海道本線東京口で活躍していた80系や153系は2扉構造で通勤運用に向かなかったため常磐線で活躍する401系をベースとした直流近郊形電車として1962年(S37年)に111系が誕生しました

クハ111-1は1962年に日本車両で製造、新製配置は大船電車区でしたがのちに
静岡運転所に転属、昭和62年まで活躍しました
廃車後は静岡運転所でモハ110-1、モハ111-1とともに保管されていました
1987-08-07   静岡運転所で保管中のクハ111-1

展示車輌移転へ

静岡新聞の記事にJR東海から5月20日に発表されたJR東海博物館
(仮称)の建設にともない、
佐久間レールパークで保存されている
車輌を名古屋へ移転させることが
地元民に告知されたそうです

佐久間レールパークの存続については明言を避けたようですが
車輌移転後の車輌補填は無いとの事で閉鎖の可能性が高そうです

JR東海博物館(仮称)

JR東海博物館(仮称)の建設予定がJR東海公式サイトに載りました

開館予定は平成23年春とのことで、展示車輌が約35両程度とのこと
イメージ図には新幹線・モハ1035・クモハ52・クハ381・キハ82の姿が
JR東海管内に残る貴重な車輌群の公開が待ち遠しいです

ちなみにJR東海管内に残る車輌群は・・・

~浜松工場~
0系新幹線(21-86・22-86・36-84・37-2523・16-2034)
100系新幹線(123-1・168-9001)
300系新幹線(322-9001)・300X新幹線(955-6)
ED18 2・EF58 122・EF58 157・モハ110-1・モハ111-1
クモヤ90005・サロ105-106・トキ4837

~美濃太田~
クモハ103-18
クハ165-120+モハ164-72+クモハ165-108
クハ381-1+モハ380-1+モハ381-1+クロ381-11
キハ58 787+キハ28 2353
キハ82 73+キハ80 99+キロ80 60+キハ82 105
キハ30 51・キロ28 2303・キハ180-1
オハフ46 2008・オハフ46 2009・オハフ46 2027
オハ35 2329・オハ47 2098

~佐久間レールパーク~
ED11 2・ED62 14
スニ30 95・オハフ33 115(スハフ34834)・オハ35 206
マイネ40 7・オロネ10 27・オヤ31 12
ソ180+チキ6132
クモハ12054・クモハ52004・クハ111-1・クヤ165-1
キハ48036・キハ181-1
クハ66002(カットモデル=シュミレータ)
21-2023(0系新幹線カットモデル)

~伊那松島~
モハ1035・クモハ12041

出張

会社の出張で朝から東京へ行って来ました。
会社支給の交通費が自由席限定(泣)
通勤時間帯の新幹線は座れるハズもなく・・・

会議は順調に進んで、思ったより早く13:30に終了。
今日は会議だけ出ればあとは自由。
帰るにはまだ早すぎる時間なので、行って来ましたよ!

山梨交通電車線 モハ7形

山梨県・増穂町に保存されている山梨交通モハ7形
2007090900000010007

モハ7形は山梨交通電車線で活躍した車両です
汽車製造会社で1948年に製造され1962年の廃止まで活躍

山梨交通廃止後の1963年にモハ7・モハ8の2両が上田丸子電鉄へ譲渡され
モハ2340形として竣工(モハ7=モハ2341・モハ8=モハ2342)丸子線で活躍
1969年4月19日に上田丸子電鉄丸子線全線廃止

1971年に江ノ島鎌倉観光(江ノ電)へ再譲渡
江ノ電ではモハ800形として竣工
(モハ2341(山梨モハ7)=モハ802・モハ2342(山梨モハ8)=モハ801に改番)
2両固定編成の永久連結車とするため各車の連結面となる側の妻面の運転台を
それぞれ撤去して片運転台構造に改造されました
「チョコ電」で活躍し1986年に引退しました

1986年6月に故郷の増穂町に里帰りして現在に至ります
長らく「チョコ電」の塗装で保存されていましたが
現在は山梨交通で活躍していた頃の朱色塗装で保存されています

なお、相方の江ノ電801(山梨モハ8)は個人に譲渡され
静岡県裾野市の十里木高原別荘地内で保存されています

JRおおみや鉄道ふれあいフェア 2006

◆2006年5月27日
『JRおおみや鉄道ふれあいフェア』で大宮へ出掛けました
開場時間までは大宮駅で撮影しながら時間調整
列番不明   253系『成田エクスプレス』 2レ   EF81 80牽引 寝台特急『北斗星』 3035M   185系 特急『草津白根』 回9754M   583系 回送列車(東大宮操への回送列車です)1062M   東武100系 特急『スペーシア』

開場時間を過ぎたので大宮総合車両センターへ103系 クハ103-703
この展示の後に前位側約9mの位置で切断、台車も含めて床下機器が撤去され
鉄道博物館の展示物(カットボディ)となりましたEF58 89
1999年の廃車後に一般色に塗装変更されて大宮車両センターに保管
翌2007年の鉄道博物館収蔵時には再びぶどう色2号に塗装変更されました
EF58 93とナハネフ22 1
大宮車両センター保管のEF58 93は残念ながら2016年11月に現地解体されました
ナハネフ22は鎌倉総合車両センターで保管されていましたが、施設の廃止のため
2006年3月に大宮車両センターへ搬入され、現在は鉄道博物館に収蔵EF80 36
大宮車両センター保管のEF80 36は残念ながら2017年10月に現地解体されました
ED16 10
大宮車両センター保管のED16 10は残念ながら2015年2月に現地解体されましたED17 1
1970年の廃車後、舞鶴城趾公園(山梨県甲府市)で静態保存されていましたが
1997年に大宮車両センターに搬入され、現在は鉄道博物館に収蔵
EF64 70 DE11 2003 DD51 1184 EF210-123
列番不明   EF65 1092牽引 9735M   485系和式電車『せせらぎ』
『せせらぎ』・『やまなみ』併結の団体列車でした9735M   485系和式電車『やまなみ』

旧国鉄清水港線 遺構

◆2006年3月25日 旧国鉄清水港線跡めぐり

フェルケール博物館の保存車両公開にあわせて清水港線跡をサイクリング
廃線後のサイクリングロードは高校時代の通学路だったので約10年ぶり
静清浄化センター内に復元された駅ホーム
巴川口駅ホームに植えられていた桜を移植した際にホームを復元したものフェルケール博物館保存車 KATO8トン入換動車 清水運送No.18 フェルケール博物館保存車 スハフ42 2105スハフ42 2105車内 清水港線廃止当時、最後に乗車したのはこの車両でした
 ※KATO 8t入換動車・スハフ42は2010年に残念ながら解体されました

フェルケール博物館保存車 静岡鉄道清水市内線 モハ65 静岡鉄道清水市内線 モハ65 雨漏りがあり車内も痛みが進行していた
※静岡鉄道清水市内線 モハ65は他県で保管中
清水港線三保駅ホーム跡と保存車両 清水運送 DB15 2  窓ガラスが壊されて状態はあまり良くないタキ8450|タキ8453|日本軽金属|三保
清水港線で活躍していたアルミナ専用タンク車
新製時の復元で銀色塗装になったようですが、現役時代は茶色に錆びた
姿が普通だったので違和感でしかない日本軽金属三保工場構内で再利用されているタキ2026のタンク体
※2018年現在、このタンク体は現存していない模様です